43年前、自宅の一室でどこにも行き場のなかった6ヶ月の赤ちゃんをお預かりしたことから始めた麦っ子ですが、働く女性を支援する為に、どんな子も受け入れてきました。様々な事情のある子や周りとうまくいかない子など、泣きながら相談にきた家庭もたくさんあり、今でもその時々の親子の顔を忘れることはありません。アトピーがひどくて、どこにも受け入れてもらえなかった子達は、その後のアレルギー対応の食事に取り組むきっかけになりました。
今は正規で働く女性は減っていますが、麦っ子を始めた当初はフルタイムで働く人が多く、女性が社会で活躍できるように一緒に頑張ってきたと思います。通勤時間も入れるとかなりの長時間保育になり、棚卸しや外交などで夜遅くなる場合は我が家に泊まったり、しばらく預かったりも珍しくなかったのです。保育園の子はかわいそうな子だと平気で言われていた時代でした。幼稚園の送り迎えのお母さん方のたまり場で、そういう話題はよく耳にしてきたものです。だからこそ、麦っ子は豊かな愛情や人間性のある子を育てていこう、どこの保育園にも真似のできない保育をめざそう、障碍(しょうがい)がある子とか母子家庭、父子家庭などの差別のない場にしたかったし、みんなが仲良く暮らせる大きな家族のような保育園でありたいと願ってきました。
通常、保育園と家庭とは分けて考えられがちですが、保育園は親が安心して仕事に行って子どもがのびのびと遊べる場だし、家庭は親子が生活する場なので、その2つの場で育つ子を共に認めあって一緒に育てていくことが基本です。でも、「子ども同士で育ち合う場」としての麦っ子を理解しないと、ただ便利に使われる保育園になってしまいます。
風や雲ぐみになると、午前中だけ、午後だけというような保育の分け方はできにくくなります。朝からの繋がりの中で1日が過ぎていきますから、午後の時間はとても大切なのです。特にデカは、午後からあーだこうだ言いながらお当番をやったり動物たちの世話をしたり、メェゴロウとお散歩に行ったり、買い物に出かけたりすることも多くなります。月曜日から始まって、デカから小さい子まで一緒にみんなで何をしてこうか?相談して翌日に繋がって場が引き継がれていきます。麦っ子が平日は休まないでください、というのはそういうわけです。そこに学童が大きいお兄ちゃん、お姉ちゃんとして絶妙な関わりをしてくれますから、夕方からは又ひと味もふた味も違う濃密な時間が流れていくのですね。夏からのお店屋さんごっこが象徴的で、毎日お財布を下げてかっちゃんやもとちゃんに「かき氷やって〜」とか「おせんべやさんやって〜」とおねだりに行く小さい人達。それに応えて臨時にお店が開かれたりー。見ていると、なんて幸せな子達だろうと胸が熱くなります。
真弓先生は「群れをなして外遊びすることが大切です」と何度もおっしゃいましたが、麦っ子の日々の生活はまさにそこにつきます。風に吹かれ暑さ寒さを日々経験しながら過ごし、ただただ幸せそうに心ゆくまで遊ぶ子ども達ー。その時その年齢でしか経験し得ない奇跡のような時間が繰り返されていきます。どれひとつとっても欠かすことのできない大切な時間です。その大事な時間を削って「習い事」で早退するのは、あまりにももったいないことだと思いませんか?文字も計算も教えない保育園ですが、小学校へ行って困るような日常生活を麦っ子では送っていませんし、小学校のために麦っ子があるのではないと思っています。将来のために英語や文字を習うのではなく、いろんな年齢の子が混ざり合って遊ぶ中で、考えたり困ったり友達の力を借りたりしながら、呼吸をするように育まれていく確かなものがあるのですね。それは人間として生きていく土台ですから、そこを豊かにしていくのが基礎の基礎だと思うのです。「麦っ子の子は余計な知識がなくて、砂が水を吸収していくように聴いてくれます」とか「集中力が半端ないですね」「思いやりがあって優しい」などと小学校の先生からよく言われるのは、毎日力いっぱい遊んでいるからではないでしょうか。お話しができなくても、相手が何を言おうとしているか心で聴き取る子もたくさんいます。相手がどういう気持ちなのか受けとめるって、すごく大事なことですよね。そういう力はすべて遊びの中にこそあります。
たまたま出会った麦っ子で、人生を左右されるかもしれないたくさんのことをいっしょに共有する場であることを理解していただきたいと心から願っています。
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