暖かい立春を迎えました。ポカポカ陽気の中、入谷小学校の交流会から戻った太陽ぐみを待って、園庭でみんなそろって豆まきをしました。先日、チーさん(萩生田千津子さん)はお話し会の中で「鬼が云う、と書いて魂という字になるんだよ。鬼は神様のお使いでいつも心の中にいて、悪いことを考えたりした時に人間の心の中から悪い考えを追い出してくれるの」とお話ししてくれました。『島引き鬼』と『モチモチの木』を麦っ子で、『鬼ばんばの羽織』と『モチモチの木』を学童で、それぞれしていただきましたが、文学座の舞台女優だったチーさんの語りにすっかり引き込まれていました。本物に触れることの幸せ…!他にも、マリオネットさんの演奏、安藤誠さんのスライドショーとお話し、奈良裕之さんの演奏など、麦っ子には一流の演奏家や芸術家が来てくださっています。小さいころから本物にしっかりと向き合う経験が得られるって、なんて幸運なのかと思わずにはいられません。本当にありがたいことですね。
ずいぶん前に「責任の所在」という題でお便りを書いたことがあります。なので今回は2回目です。41年前に自宅の一室を保育室として麦っ子を始めたとき、麦っ子で起きる一切のことは責任を持つ覚悟で一人の赤ちゃんをお預かりしました。今でもあの時の緊張感はハッキリと覚えています。5年目に旧園舎に移った頃になると在園時の数もずいぶん増えていましたし、のんちゃんが麦っ子に来て保育に入るようになり、お散歩を中心としたスタイルが定着してきました。大きい子が自分より小さいクラスの子の手をつないで車道側を歩くのも麦っ子では当たり前の姿でしたが、他の保育園では誘導ロープを使っているところが多かったのです。誘導ロープは前後を大人が持ってコントロールできますから、お散歩の安全性が高いという評価がありますので無理のないことではあります。手と手をつなぐことで相手の気持ちが伝わることの分かるようになるには、毎日毎日根気よく積み重ねていくしかないのですね。「そっちに行かないよ!」「車が来るから端っこまで下がって背中ピッタンコ!!」「穴があるから注意。穴チュ―、ドブチュー」こうして飽きもぜず繰り返す日常が、いつしか自然に身についていく―。のんちゃんはよく、別のことをしている時でも「ハッとしたりドキッとしていた…」と言います。「私達って心臓がいくつあっても足りないね」なんて言い合ったりしますが―。そんな時あるお母さんが懇談会で「麦っ子に預けている時、もし何かがあってうちの子が亡くなるようなことがあっても、私達は覚悟ができています」と言ったことがあります。勿論、麦っ子を信頼して預けています―、という前提ですが、その言葉の重みに声が出ず、ただただありがたくて涙が出ました。そんなことは絶対にあってはならないことですが、では 「子どもを保育園に預ける」って、どういうことなのでしょうか?私達は、家庭と保育園で一緒に育てていこうね―と言って引き受けています。互いに信頼し合って話したり任せ合っていかなければ、保育は成り立ちません。安全は勿論大切ですし、何をするにも命の重みを受け止めながらの日々の保育であることは、職員1人1人が心に刻み込んでいます。少しでも気になることがあれば、すぐ確認し合って納得いくまで話し合うようにしています。その上で、どんどん外に出かけてガケ登りをしたり、往復2時間以上もかけて川や森に行ったり、大山登山をしたり静岡県まで合宿に行くなどもするのです。
何かが起きた時、「どっちの責任か?」を問いつめる関係の日常が今の社会では当たり前ですが、最近は自分で責任を引き受ける覚悟のない大人が増えて、子どもが犠牲になるような痛ましい事件が多くなっています。嘘をついてもごまかしても通るような政治の在り方に原因の一端があるのではないでしょうか。
麦っ子畑保育園はもっと違う場に身を置いていたい…と強く思っています。
(2019.2.4)
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