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  • 執筆者の写真みこべ

<みんなで一緒に遊びたい>

―この文章は、麦っ子がまだ無認可保育園で25年目を迎える頃、「福祉労働」という季刊誌に掲載されたものです。探し物をしていた時目にして読み返してみましたが、時代が変わって風景が多少変化しても、麦っ子の基本は全く変わっていないんだなぁ~

と改めて思いましたので、再掲載させてくださいね―

麦っ子畑保育園は、春になると25年目を迎える無認可の保育園です。座間市の、のどかな街並みにある昔ながらの民家が園舎ですが、敷地の柵は背の低い竹垣なので、道すがら通る人から子ども達の遊ぶ様子がよく見えます。木造の家屋は窓が開け放してあるので風がふんだんに入り、子ども達は冬でもはだしで過ごしています。何もないところから一人の赤ちゃんを預かることでスタートした保育園ですが、無認可だからこそやれる保育をしていこうと思っていました。当時は産休明け保育、病児保育、長時間保育をしている認可園はほとんどありませんでした(その後、アレルギー食も含めて無添加無農薬の素材による給食も実施)。中でも障がい児と判定された子どもは行き場がなく、仕事を続けたい母親も退職せざるをえなかったり、仮に集団生活が許されても、条件付きだったりすることが多かったのです。

 麦っ子畑保育園を始めるにあたって「どんな子でも受ける」決心をしました。たとえ酸素ボンベが必要な子でも、いろいろ問題を抱えていたとしても、「私達が出来ることを一緒に考えていけばいいよね」そう思ったのです。専門家に任せるのではなく、その時々の問題を親も含めて一緒に悩んだり考えたり、時には行政に掛け合ったり…。そんなふうにしてみんなで卒園を迎え、学校に送り出してきました。

 集団として管理しようとすると、どうしてもはずれてしまう子も、麦っ子のように0才の赤ちゃんから6才の子までごちゃごちゃと生活していると、こちらもあまり気にならないし、子どもの方もチビを相手にして気分が変わると又自分のクラスに戻っていきますが、そういうことが出来る空気が漂っているのがいいのだと思います。大きな家族のような場にいるので、自然に子ども同士どうしたらいいのかを身につけていくことが多いのですね。世話をやいたり、助けられたり―。夕方になると、あっちでオッパイをあげているお母さんがいるかと思えば、こっちではオモラシしたオシッコをオムツで拭く子がいる…。ハダシのまま外から駆け込んでくる子のかたわらで本を取り合って泣いている子もいる…。雑然としているけど、ゆったりとした時間が流れている麦っ子を「アジアの風が吹いている」ような感じだという親もいます。

 ところで、麦っ子では「チビに気をつけてね」と大人達がよく口にします。走ったり遊びに夢中になって、小さい子を振りとばしてしまうこともおきかねません。「小さい子のめんどうをみる」のは、先輩達から受け継いできた麦っ子の伝統になっています。外に遊びに行く時も散歩に行く時も、大きい子は「チビで困っている子はいないか」「靴をはけない子はいないか」「1人で歩いて行ってしまう子はいないか」気を配ります。それは2才児と3才児も同じで、手をつないだら必ず大きい子のほうが道路側になり小さい子を守ります。勿論、車に対しては相当に神経を使いますが、毎日の経験の中で「相手がなにを考えているのか」「どんな気持ちでいるのか」「なにをしたら危険か」を自分なりに分かっていってほしい…そう思っています。

例えば麦っ子では、1年で一番寒い時期にマラソン大会をしていますが、普段は「ぐるぐるマラソン」といって、保育園前の道~川沿い~また保育園の前の道~と、何周も回って走っています。赤ちゃんは乳母車に乗って、うまく歩けない子は大人や大きい子と手をつないで、速い子はガンガン走るマラソンです。大人が息を切らしているそばを、デカ達はチビを巧みによけてタッタッタと走り抜けて行きますが、そのかっこいいこと!!でも、途中で転んだり、ごねたりしている子を見れば「どうしたの?」「泣かないんだよ」と声をかけるのも忘れません。大人だと甘えてしまう子も、相手がにいちゃんやねえちゃんだと、気をとりなおしてベソをかきながら手を引かれて行ったり、ひっくり返って泣いている子を苦労して抱き起こしながら自分もポロリ…と涙をこぼしたり。毎朝繰り返される風景ですが、赤ちゃんも大きい子もみんなでするマラソンを、私はなかなか気に入っています。本番が近くなると3.4.5才児は「遠くマラソン」という約1.4kmのコースを走るようになりますが、それまでは民族大移動みたいに賑やかな時間を楽しんでいます。

少しずつ日が延びてきて、夕方薄暗い園庭で遊ぶ子の声が聞こえてきます。アンズの木に登ってなにやら話している子達―。泥だらけになって肩を寄せておだんご作りに夢中になっている子達―。こんな時間になっても子ども同士で遊んでいられる保育園って、いいところですよね。

この時からずいぶん年月が過ぎて、無認可だった麦っ子は認可保育園になりました。毎年卒園式の頃、花をいっぱい咲かせる大好きなアンズの木は、新園舎建設の時やむを得ず太い幹を3本切ることになり、みんなして登ることは出来なくなりました。でも3人くらいずつ交代で登っていますので、いつか、木が大きく枝を広げるようになったら、昔のようにみんなで登れたらどんなにか素敵なことでしょうね。みこべもそれまで元気に頑張っていけるかしら。「大きくなって麦っ子の大人になりたい」太陽ぐみの子達もいますから、やっぱり元気に頑張らなくっちゃ―!!

こちらもだいぶ前に麦っ子で2週間実習をしたかおりちゃんの感想をもとに書いたものです

麦っ子での「就学時健康診断」の学習会にも参加したかおりちゃんは、その素直な感性で「人が人を分けていいのだろうか?」と疑問を投げかけます。麦っ子開設以来ずっと続けてきた就健学習会ですが、そもそもこの就健は一般の家庭ならほとんどが全く疑問や迷いもなく、入学前の晴れやかな一日として、家族中で楽しみしているものです。大きいお姉さんやお兄さんもやさしく迎えてくれる小学校。入学前の特別な一日。でも私達は、その喜びに満ちた家庭の陰で辛い思いをしている家族を知っています。健診を受けずに入学して、普通級に在籍し続けた人達を知っています。そして『0点でも高校へ』と定時制高校に通っている人達や、絶えず絶えず学校から言われ続ける「お子さんに合った教育を受けるほうが幸せですよ」という言葉(圧力)にめげず、地域の普通級がいいと頑張っている親子もいます。小中学校だけではありません。就学前の幼稚園や保育園から逃れるように麦っ子に来た子達もたくさんいます・・・。「テンカン発作がある子は責任が持てない」と入園を拒否された子。目だったなにかはないけれど、他の子と同じ行動ができないので「専任の職員をつけないと・・・」と言われて悲しい思いをしている親。園側からなにか言われるたびにびくびくしてきた、と、涙をこぼして訴える親。幸せな人生を過ごしてほしいという願いはどの親にも共通なのに、異質のものを受け入れない社会・・・。残念ながら、それが今の世の中の大勢です。学校教育を画一的にして「みんな同じ」ように過ごさせているのに、少し違った子には「その子に合った個別の教育を」というのはおかしいと思いませんか?そういう子達には「みんな同じ」は求めないで、「みんなと一緒がいい」という声はつぶされていく・・・・・・。麦っ子は「どんな子も麦っ子を必要とする子は受ける」「一度受け入れた子は絶対にこちらから退園を迫らない」ことを固く守ってきました。その子専用の職員をつけないで、親も園も一緒に考えて育てていくことを前提に、どんな子も一緒に、皆で遊べる場をつくっていく。それが今までもこれからも麦っ子の保育の基本です。だから、麦っ子を卒園した子達が「いつか社会を変える力」になると信じているのです。(2010.12.3)

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